☆☆セルフヘルプ・グループ「アロー」 メンバーの声6☆☆

メンバーの心の声です
あなたの声を載せてみませんか?

2019/5/29

 
 2019年3月、「嗜癖関係の自助グループと関係者の交流会」にて
 グループ「アロー」を代表してスピーチしたMzさんの当日の発表内容です。


こんばんは。
私はAC自助グループ「アロー」のMzと申します。
よろしくお願いします。

私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンです。
まず初めに自分がなぜ「アロー」へ参加しようと思ったのか、経緯をお話しさせていただきます。

私は2年前に上司のパワーハラスメントにより体調を崩して、うつ病と診断されました。
その後3か月の自宅療養を経て職場復帰をしたのですが、その後も思考能力の低下や行動力の欠如が続き、仕事に支障をきたしておりました。
それからうつ病を患って1年半ぐらい過ぎた頃、自分では大分良くなっていたと思っていたんですが、
またもや上司に急な仕事を課されて、それが大失敗して周りから責められて・・・
遂に自殺しようかと悩み行動に移そうとしました。
ですが、それをなんとか踏みとどまり職場に相談し、通っていた医師に経緯を説明したところ、入院をすすめられ、去年10月から12月まで入院し、現在は休職中で自宅療養中です。
この入院から自宅療養までの間、一人で落ち着いて考えるうちに、子どものころから同じことが繰り返されているということに気づきました。
まぁ・・・簡単に言うと同じような人間に痛い目にあわされているということですね。
で、カウンセリングを受けて、アダルトチルドレンの書籍等を読む機会もあって、自分がアダルトチルドレンであるということを認め、AC自助グループの「アロー」に参加することにしました。

ここから、私の人生の話になってしまうのですが、
私の幼いころの記憶の大半は、父が怒鳴り散らして物を壊したり暴れる等のことをしている光景ばかりでした。
ほんとうに何でもないようなことで怒りだして母を怒鳴り散らしていました。
怒りは私が布団に入ってからも続き、動けば巻き込まれてしまうため、身動きすらできず脅えていたことを覚えています。
毎日が緊張状態で家の中がピリピリしていました。
父は機嫌が良さそうでもすぐに豹変する人だったので、日常では全く気が抜けない日々でした。
ですがこの生活にも転機が訪れ、小学校2年生頃から父があまり帰って来なくなりました。
私は幼いながら、何となく気づいていたのですが・・・おそらく外に女の人をつくったんだろうと・・・
ということが分かりました。
しかし、このことに関しては、父が週に1回程度しか帰って来なくなったと安堵していました。
相変わらず帰って来ては怒鳴り散らす人でしたが、帰る回数が減ったことが救いでした。
しかしこの頃から父がいないにもかかわらず、夜いない父の声が聞こえるという幻聴が続き・・・
リバウンドというのでしょうか?フラッシュバック(自分が脅かされたことを繰り返す)というのでしょうか・・・
そういう症状に悩まされ慢性的な不眠を患うようになりました。
この幻聴は高校生の時も続きました。
しかし、今度は若干父から解放された母が、私から見るとおかしな方向へ行きだしたと思っています。
考える時間も増え、人生を見つめ直していたんだと思いますが、いろいろなことに手を出すようになってきました。
それは、いろいろな宗教であったり、習い事であったり、グループ活動、勤め先、様々なことに手を出していました。
そのため家を空けることも多く、近所の人に預けられたり、母が夜に外出したりということが増えました。
そのことで私がつらかったのは、家にいない母の代わりに、私が父と母の仲介役をしなければならなかったことです。
当時は携帯電話などありません。固定電話です。
母は夜遅くまで帰ってこないので、父からの夜中の電話を私がとることになりました。
私は電話の向こうで怒鳴り散らしている父の話を聞き、それを帰ってきた母に告げると
「ああ、そうなんだ・・・」とか言いながら電話を介して喧嘩が始まる日々でした。
お陰で、私は今でも電話恐怖症です。

先ほど、私はアダルトチルドレンであることを申し上げましたが、実は私はアダルトチルドレンの知識は小学校5年生から中学校3年生の間にある程度持っていました。
それは、母が手を出したものの中にこれらのことが入っていたからです。
心理学等の書籍もいくつか所有していたことも知っていました。
これらの知識を得て母がまずしだしたことは、私に対していかに自分が不幸な生い立ちをし、父に虐げられていたのかを小学生であった私に話していました。
小学生であった私にそんな話をしても何の解決にもならなかったと思いますが、
母はおそらく自分の理解者が欲しかったんだと思います。
延々とこれらの話を私に話だし、時には私に感情をぶつけることもありました。
この頃になると父も年に1回ほどしか帰って来なくなり、
私としては庇護者である母に嫌われまいと一生懸命聞いていたことを覚えています。
中には私に対してひどいことをしたなどと言ってくれることもあるので、話を聞き続けましたが・・・
この話はだんだんと、訳の分からない状態、状況になってきます。
それは、アダルトチルドレンや虐待に関することから宗教的なことや男尊女卑、歴史の解釈等々が入り交じり、日本人が、また、男がいかに悪い生き物であるかということをトウトウと語りだします。
私に「あんたはお父さんを見て育っているから同じようになる。だから結婚しない方がいい。」など
私が男性であることが駄目であるかのことを言われ続けました。
こういった経緯から私は人として、男性としての自信が持てなくなったと思います。

こういった幼いころからの経験から、私はいつしか日々の生きづらさを感じるようになりました。
常に自分を責めて、楽をしてはならない。
きついところに身を置かねばならない。
等の強迫観念にとらわれるようになり、
なぜか自分の周りに怒鳴り散らす人、嫌みを言ってくる人、私の存在を否定してくる人、を多く引き寄せるようになったことに最近気づきました。
いえ。私は気づいていながら気づかないふりをしていたのだと思います。
私は心の中で、「私は普通である。不幸な生い立ちをしていない。他の家より少々特殊なだけ。」と自分に関しての問題や辛さや家庭環境を見ないようにしてきました。
うまくいかないのは自分の努力が足りていないだけ。
周りの人に良くしていかなければならない。
自分を犠牲にしてでも周りに尽くさなければならない。
等を常に考えていました。
もちろん、この考えで良かった時期もありましたが、結局はつらいことの繰り返しでした。

うつ病になり入院、自宅療養を経て多くの考える時間を得ました。
私は、これから自分がどうすればよいのかを模索している最中です。

私がアローの活動に参加し、良かったことは、私がこれまで話すことができず話せなかったことを遠慮なく話せる場所であるということです。
今まで私はつらい気持ちを誰にも話すことができませんでした。
そのため自分一人がつらい思いをしていると思い込んでいました。
が、しかし、自分と同じようにつらい思いや苦しい思いをしている人たちに会うことで自分は一人ではないことに気づきました。
これから自分がどうなっていくかは分かりませんが、自分の肩の荷・・・もしくは胸のつかえが少し取れて行っているような気がします。
この気持ちを大事に、自分と向き合っていきたいと思っています。

以上、ご清聴ありがとうございました。


 当日グループ「アロー」からは7名のメンバーが参加しました。
  以下、メンバーの感想です。


 ・「自分をまさに代弁してもらったような気持ちになった」
 ・「心に刺さり、家に帰っても余韻がおさまらず考えさせられた」
 ・「Mzさんの雄姿に感動と刺激をうけた」


※メンバーに了承を得て載せてあります。

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