セルフヘルプ・グループ「アロー」


☆☆セルフヘルプ・グループ「アロー」 メンバーの声☆☆

「アロー」Allow

メンバー自らの心の声です
あなたの心の声を載せてみませんか?

2022/4/19

 
 2022年2月、「依存症嗜癖関係研究会」 石川県医師会館(Web併用)にて
 グループ「アロー」を代表して発表したKさんの内容です。


こんばんは。
私はAC自助グループ「アロー」のSaと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

<ACとは>
皆様、ACという言葉を、耳にしたことはありますでしょうか。
AC(アダルトチルドレン)とは、
機能不全家族(いわゆる家庭が崩壊した環境)の元で、育った人たちのことを言います。
ここで育った人は、自己肯定感が低く、自分を否定しがち、
いわば、自己のアイデンティティに不安定さを、感じている人たちです。
たとえば、本当は怒りや悲しみを感じているはずなのに、
表現することに恐れを抱いたり、表現することは悪だと思い込み、
自分の感情を飲み込んだりと、してしまいます。
そのため、対人関係では適切な距離感が取れないなど、
日常生活において「生き辛さ」を、抱えて生きているのが、ACなのです。
この「生き辛さ」が長く続いたり、ひどくなったりすると、
依存症、うつ病、精神障害などの、心の病気に発展してしまう可能性があります。
心の病気の根本的な要因に、ACがあるのだと、私はそう思います。

<自己紹介>
私はというと、今年で51歳となる父親でございます。
私はいつも生活において、家族を含め、他人との距離感に悩まされてきました。
自然に振る舞えば拒絶され、意図的に距離を置くと無責任だとなじられてきた。
「なんでいつも私だけが悪いの?」「なんでいつも私が我慢しないといけないの?」
私は世の中に対して、このような理不尽さを、いつも感じていました。
私は50年あまり生きてきましたが、
気づけば、職は転々、住居も転々、両親とも絶縁、愛する家族とも今はバラバラ。
私の人生の道のりは、決して幸せと呼べるものでは、ありませんでした。
私は、自分のままに生きてはいけない人間なんだ、
成功はただの偶然、失敗はすべて自分の至らなさ、
とにかく私は頑張らないといけない人間なんだと、そう思って生きてきました。

<アロー紹介>
私が、自助グループ「アロー」へ参加したのは、昨年のことでした。
これは後からわかったことですが、
ACの回復には、脅かされることのない、安全で安心できる場所が必要なのです。
安心できる場所で、自分を認め、ありのままの自分を許していく、
そう、Allow していくことこそが、心の回復への近道なのです。
当グループは、家族の問題で、行きづらさを抱えた人たちが、安心して話せる場所 として、
発起人である林さんが、2010年に発足され、今年で12年目を迎えます。
ミーティングは毎週水曜日に行われ、その回数も400回を超えています。
年齢や性別、育った環境はバラバラですが、
同じACであることに悩みを抱える人たちが、集うところから始まります。
各々が、自分の苦しみやもがきを、誰にも言えずに心に溜め込んだ言葉や思いを、
我慢せずに、ゆっくりと、皆の前で吐き出していきます。
皆に自分のうちを、さらけだすことで自分を受け入れて、自分を許してくれる人たちが、
ここに居るのだと、それを体験することで、ACの回復を図っていきます。
苦しみで涙をこぼしたり、葛藤で怒りをあらわにしたり、時には笑ったりと、
幼いころから抑圧されてきた感情を、ほぐしてくれる場所が、ここ「アロー」なのです。

<私の依存症>
「アロー」の活動に参加して、私は、自分が「依存症」だということを知りました。
私は、人に依存するという依存症、「共依存」だったのです。
特定の相手に過剰に依存し、無意識のうちに自分の存在価値を見出そうと、 相手をコントロールし、
自分の望む行動を取らせる、
そうすることで、自分の心の平穏を保とうとするという病、それが共依存なのです。
私の場合、その対象は、世界で一番大切な人、私の娘でありました。
どこ行くにも一緒、何をするにも一緒、
お買い物も、お料理も、お食事も、そして寝る時でさえ、一緒でした。
とにかく私は、娘が側にいてくれることに、この上ない喜びを感じていました。
だから私は、娘のために、仕事も辞め、全財産を投入し、全身全霊で尽くしました。
しかし、 娘との生活は、娘が「家出」をするという形で、その終焉を迎えました。
残された私は、不安障害と適応障害をわずらい精神科に入院。
退院したものの、それでも私は、四六時中、娘のことしか考えていませんでした。
娘に会いたい、娘と仲直りしたい、私が悪かったから、私を許してほしい。
娘のいない世界なんて考えられない。
灰色一色のどんよりとした世界なんて見たくもない。
私は、生きる目的を失い、食事も睡眠もままならず、ただの抜け殻となっていました。

<依存症の怖さ>
依存症とは、欲する量と欲する頻度が、だんだんと増えていくという病なのです。
アルコール依存ではお酒を、薬物依存では薬を、買い物依存では品物を、
そして私のように、人依存では愛する人を、永遠に貪る、そういう病気なのです。
私は本来、子どもの頃に、満たされるはずだった愛情を、承認欲求を、
それらを得ることなく、大人になってしまった人だと言えます。
それゆえ、私の心は、まるで砂漠にでもいるかのように、いつも渇きを欲していました。
だから私は、娘の中に、渇きを満たしてくれるオアシスを、追い求め続けました。
依存症の怖いところは、その進行性にあります。
1つよりも2つを、2つよりも3つを、もっと早く、もっと大きく、まだ足りないと。
自分に足りないと思うところがあれば、貪欲にそれらを満たそうとしていきます。
やがて、依存症というのは、行き着く先は、破壊という名の、終着駅なのです。
自分だけでなく、家族や周りの人をも巻き込んで、破壊の限りを尽くして終わるのです。
私の場合、世界で一番大切な自分の娘に、その破壊の手を、伸ばしてしまいました。
私は、何度も何度も、娘から愛情を貪り、そして娘を傷つけてしまいました。
今となっては、どんなに悔やんでも、悔やみきれません。

<アローでの回復>
私は、依存症をやめたいです。
私は、ACをやめたいです。
では、私は、どうすればよかったのでしょうか。
その問いに、「アロー」の皆さんは、こう答えてくれました。
「あなたは、あなたのままでいいのです」
そう、私はACなんです。
自助グループ「アロー」の活動の本質は、Allow、「許す」ことなのです。
私は、こんなにも惨めで、こんなにも情けない自分を、受け入れます。
私は、誰かに満たしてほしいと思っていることを、許します。
正直なところ、私は、まだまだ娘への依存的な願望は、消えてはいません。
しかし、私は、「アロー」での活動に参加することで、
少しづつではありますが、こんな自分を、許してみようかと思います。
自分を許せることで、初めて、他人を許せられる、なのかもしれないね。

<終わりに>
長い間、ACのために、尽くしている林さん、
ならびに、集いに集まってくださったメンバーの方々に、
この場を借りて、感謝の意を表したいと思います。
ありがとうございました。

以上となります。
拙い文章ではございますが、何かの参考になれば幸いに思います。
ご静聴、ありがとうございました。

<感想>

前半は緊張しました。
手が震え、視界がぼやけて、とにかく原稿を読むのに必死でした。

自宅で何回も練習をしましたが、久しぶりのスピーチ、昔を思い出しながら、一生懸命に自分と向き合って、言葉を噛みしめました。

後半になるにつれて、原稿を書いていた時の気持ちが込み上がり、気分は落ち着いたものの、アドリブが多くなったのは反省点。

発表を終えて、胸のつっかえが1つ取れたような、気持ちになれました。

自分の事について、過去、現在、そして、未来を、私はどうすべきだろうか。

私は、この原稿を書き終えた時、「私は私のままでいいのです」という気持ちになれました。

そして発表を終え、自宅に戻り、布団に潜った時、私は「うん」という言葉が込み上がってくるのを感じました。

「アロー」に参加して、林さんをはじめ、メンバーの方々のお言葉・胸の苦しみ・想いなどを、肌で感じることができました。

私は、この発表で、自分を振り返ることができました。

これからの私は、私でありたい。

私はまだいろんな事で迷ってはいますが、まあ、これも今の私なのです。

胸の内をさらけ出せる暖かい場所と、自分と向き合えるチャンスを与えてくださった、「アロー」に、感謝です。

少し恥ずかしい思いもありますが、とりあえず素直な気持ちです。
ありがとうございました。

 2022年 3月 Kさんより


    「今の自分の思い」

はじめに言うと、正直なところ、この文章を書くのは難しかったです。
というのも、ネグレクト(育児放棄)は自分でも、他人から見ても、虐待だとすぐにはわかりにくいからです。
(ネグレクトを受けていたことに気づきました)
私の場合、母親が社会性を身に付けさせなかったことです。

社会性のエピソードとして私が小学校低学年のときのことです。
近所の人が作りすぎたからと、おすそ分けにとたこ焼きをもらったことがあります。
その時、母親は「うちは物乞いじゃない。返してこい。」と言って、母親以外の者が返しに行ったことがあります。
母親が、近所の人は私の家は食べるものがないと馬鹿にしているという正常ではない受け取り方をしました。
どうしても近所の人に借りを作りたくないのなら、後でお返しをすればいいという考えにも至らず、そういった母親を父親も止められない機能不全な家庭環境でした。
そのことをグループ「アロー」で話しました。
それは、心理学でいう、母親の「認知のゆがみ」からの言動だったと解りました。
他にも書ききれないほどの矛盾がありました。
こういった環境で育つと、子どもは、正常な社会性が身につきません。
私自身、学校、職場の人間関係でものすごく苦労してきました。

幼少期はなんとか人付き合いはできていましたが、小学校6年生後半から精神に変調をきたし、人付き合いがほとんどできなくなりました。
精神的な不調も交友関係についても母親は養育者として何もしてくれませんでした。
高校3年生になり、高校教師の再三の要請でようやく精神科クリニックを受診することになりました。
社会に出ると、職場の人間関係が上手くいかず、非正規雇用の職を転々としています。
そうした中で、少しでも社会性を身に付けてもらおうと、通院しているクリニックの医師の勧めで、2020年4月に初めて自助グループ「アロー」に参加しました。

私はアローのミーティングでは、毎回ほとんど同じことを言っていました。
アローは毎回同じことを言っても他の参加者に変に思われたりしない安全な場所です。
何回も同じことを言うことで、硬くなった考えが少しずつ柔軟なものに変わっていくのかもしれません。
そういったアローの活動を通じて思ったことを書きます。

まず、虐待をする親は、自身も子ども時代に虐待を受けてきたケースが多いといわれているので、「親自身がすべて悪い」で片付く話ではないと思っています。
私は母が恵まれない家庭環境の中で育ったことを薄々分かっていたので、親のことが憎いという気持ちはありません。
親の価値観は正しいとは言いませんが、すべてが間違っているとも言えないと思っています。

こういったことから、私は親の価値観がすべて正しいと思ってはいけないと感じています。
まだ、どういう風に振る舞っていいのか分からないけれど、両親の関係性を目の当たりにして、感情的ではなく理性をもって行動することが大事だと思いました。
そして、これから、なんとか社会に適応していければと思っています。

2021年 3月  Jさんより 
 
   2019年3月、「嗜癖関係の自助グループと関係者の交流会」にて
   グループ「アロー」を代表してスピーチしたIさんの当日の発表内容です。


こんばんは。
私はAC自助グループ「アロー」のMzと申します。
よろしくお願いします。

私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンです。
まず初めに自分がなぜ「アロー」へ参加しようと思ったのか、経緯をお話しさせていただきます。

私は2年前に上司のパワーハラスメントにより体調を崩して、うつ病と診断されました。
その後3か月の自宅療養を経て職場復帰をしたのですが、その後も思考能力の低下や行動力の欠如が続き、仕事に支障をきたしておりました。
それからうつ病を患って1年半ぐらい過ぎた頃、自分では大分良くなっていたと思っていたんですが、
またもや上司に急な仕事を課されて、それが大失敗して周りから責められて・・・
遂に自殺しようかと悩み行動に移そうとしました。
ですが、それをなんとか踏みとどまり職場に相談し、通っていた医師に経緯を説明したところ、入院をすすめられ、去年10月から12月まで入院し、現在は休職中で自宅療養中です。
この入院から自宅療養までの間、一人で落ち着いて考えるうちに、子どものころから同じことが繰り返されているということに気づきました。
まぁ・・・簡単に言うと同じような人間に痛い目にあわされているということですね。
で、カウンセリングを受けて、アダルトチルドレンの書籍等を読む機会もあって、自分がアダルトチルドレンであるということを認め、AC自助グループの「アロー」に参加することにしました。

ここから、私の人生の話になってしまうのですが、
私の幼いころの記憶の大半は、父が怒鳴り散らして物を壊したり暴れる等のことをしている光景ばかりでした。
ほんとうに何でもないようなことで怒りだして母を怒鳴り散らしていました。
怒りは私が布団に入ってからも続き、動けば巻き込まれてしまうため、身動きすらできず脅えていたことを覚えています。
毎日が緊張状態で家の中がピリピリしていました。
父は機嫌が良さそうでもすぐに豹変する人だったので、日常では全く気が抜けない日々でした。
ですがこの生活にも転機が訪れ、小学校2年生頃から父があまり帰って来なくなりました。
私は幼いながら、何となく気づいていたのですが・・・おそらく外に女の人をつくったんだろうと・・・
ということが分かりました。
しかし、このことに関しては、父が週に1回程度しか帰って来なくなったと安堵していました。
相変わらず帰って来ては怒鳴り散らす人でしたが、帰る回数が減ったことが救いでした。
しかしこの頃から父がいないにもかかわらず、夜いない父の声が聞こえるという幻聴が続き・・・
リバウンドというのでしょうか?フラッシュバック(自分が脅かされたことを繰り返す)というのでしょうか・・・
そういう症状に悩まされ慢性的な不眠を患うようになりました。
この幻聴は高校生の時も続きました。
しかし、今度は若干父から解放された母が、私から見るとおかしな方向へ行きだしたと思っています。
考える時間も増え、人生を見つめ直していたんだと思いますが、いろいろなことに手を出すようになってきました。
それは、いろいろな宗教であったり、習い事であったり、グループ活動、勤め先、様々なことに手を出していました。
そのため家を空けることも多く、近所の人に預けられたり、母が夜に外出したりということが増えました。
そのことで私がつらかったのは、家にいない母の代わりに、私が父と母の仲介役をしなければならなかったことです。
当時は携帯電話などありません。固定電話です。
母は夜遅くまで帰ってこないので、父からの夜中の電話を私がとることになりました。
私は電話の向こうで怒鳴り散らしている父の話を聞き、それを帰ってきた母に告げると
「ああ、そうなんだ・・・」とか言いながら電話を介して喧嘩が始まる日々でした。
お陰で、私は今でも電話恐怖症です。

先ほど、私はアダルトチルドレンであることを申し上げましたが、実は私はアダルトチルドレンの知識は小学校5年生から中学校3年生の間にある程度持っていました。
それは、母が手を出したものの中にこれらのことが入っていたからです。
心理学等の書籍もいくつか所有していたことも知っていました。
これらの知識を得て母がまずしだしたことは、私に対していかに自分が不幸な生い立ちをし、父に虐げられていたのかを小学生であった私に話していました。
小学生であった私にそんな話をしても何の解決にもならなかったと思いますが、
母はおそらく自分の理解者が欲しかったんだと思います。
延々とこれらの話を私に話だし、時には私に感情をぶつけることもありました。
この頃になると父も年に1回ほどしか帰って来なくなり、
私としては庇護者である母に嫌われまいと一生懸命聞いていたことを覚えています。
中には私に対してひどいことをしたなどと言ってくれることもあるので、話を聞き続けましたが・・・
この話はだんだんと、訳の分からない状態、状況になってきます。
それは、アダルトチルドレンや虐待に関することから宗教的なことや男尊女卑、歴史の解釈等々が入り交じり、日本人が、また、男がいかに悪い生き物であるかということをトウトウと語りだします。
私に「あんたはお父さんを見て育っているから同じようになる。だから結婚しない方がいい。」など
私が男性であることが駄目であるかのことを言われ続けました。
こういった経緯から私は人として、男性としての自信が持てなくなったと思います。

こういった幼いころからの経験から、私はいつしか日々の生きづらさを感じるようになりました。
常に自分を責めて、楽をしてはならない。
きついところに身を置かねばならない。
等の強迫観念にとらわれるようになり、
なぜか自分の周りに怒鳴り散らす人、嫌みを言ってくる人、私の存在を否定してくる人、を多く引き寄せるようになったことに最近気づきました。
いえ。私は気づいていながら気づかないふりをしていたのだと思います。
私は心の中で、「私は普通である。不幸な生い立ちをしていない。他の家より少々特殊なだけ。」と自分に関しての問題や辛さや家庭環境を見ないようにしてきました。
うまくいかないのは自分の努力が足りていないだけ。
周りの人に良くしていかなければならない。
自分を犠牲にしてでも周りに尽くさなければならない。
等を常に考えていました。
もちろん、この考えで良かった時期もありましたが、結局はつらいことの繰り返しでした。

うつ病になり入院、自宅療養を経て多くの考える時間を得ました。
私は、これから自分がどうすればよいのかを模索している最中です。

私がアローの活動に参加し、良かったことは、私がこれまで話すことができず話せなかったことを遠慮なく話せる場所であるということです。
今まで私はつらい気持ちを誰にも話すことができませんでした。
そのため自分一人がつらい思いをしていると思い込んでいました。
が、しかし、自分と同じようにつらい思いや苦しい思いをしている人たちに会うことで自分は一人ではないことに気づきました。
これから自分がどうなっていくかは分かりませんが、自分の肩の荷・・・もしくは胸のつかえが少し取れて行っているような気がします。
この気持ちを大事に、自分と向き合っていきたいと思っています。

以上、ご清聴ありがとうございました。


 当日グループ「アロー」からは7名のメンバーが参加しました。
  以下、メンバーの感想です。


 
・「自分をまさに代弁してもらったような気持ちになった」
 ・「心に刺さり、家に帰っても余韻がおさまらず考えさせられた」
 ・「Mzさんの雄姿に感動と刺激をうけた」

 
 
ご無沙汰してます。
バタバタしてて連絡が遅くなりました。
急ですが夫の転勤が決まり、遠方へ引っ越すこととなりました。

はやしさんや参加者の皆さんとお会い出来て、話を聞かせてもらったり私の話も聞いてもらえた。

ACで苦しむのは自分だけじゃないんだ、ここでは何でも話せるんだと、はじめてお国に帰れたような、言葉では表せない安心感と、しっくりくる感じがとても嬉しかったです。

インナーチャイルドセラピーを受けられず残念ですが、そちらで経験出来たことを思い出しながら、私はこれからの自分を作りたい。
私が思う自分なりの向上を果たしたいです。

本当にありがとうございました。
参加出来て幸せでした!メールでごめんなさい。

どうかみんなお元気で。

いつか、誰にも潰されず本来の自分らしい生き方が出来ますように!!

心穏やかな時間が永くありますように!!

ありがとう!

私のはじめての仲間達!

祈ってます。


2017年 10月  Hさんより

 2017年3月、「嗜癖関係の自助グループと関係者の交流会」にて
 グループ「アロー」を代表して発表したGさんより
 当日の発表(一部追加)です。


こんばんは。
自助グループ「アロー」から来ました、H-bと申します。どうぞよろしくお願いします。

本題に入る前に、2つ、気に留めて頂きたい事があります。

1つ目、私の人生に起こったこと、そしてそれを踏まえて、私が世の中に知って頂きたいこと等を話していると、1~2時間はすぐに経ってしまいそうですが、今日は決まった時間なので早口な言葉の羅列で大変お聞き苦しいかと思われますが、ご了承下さい。

2つ目、私は人間の心や、嗜癖行動、家族問題などに関心があり、大学の時に、不登校の親子のグループにボランティア参加したのをはじめ、今まで沢山の方々にお会いし、お話ししてきました。
今日の内容は、そういう経験の中で、私自身が心と体で実感してきたことをもとにしたものです。意見・立場や考え方が違うという事も当然あるでしょうが、その場合は聞き流していただければ結構です。

私は機能不全家族で育ったアダルトチルドレンです。
今、家族という言葉を使いましたが、実際は家族というのもおこがましい、干渉・支配・恐怖・人間不信、にまみれた団体・集団でした。   
外から見て、どれだけ優秀で完璧で立派なロボットを製造するか、そういう工場でしかありませんでした。
そういう中で、私は物心ついた時から生き辛さを感じていました。
言葉を変えると、親・家庭・人生・世の中のすべてが怖いという事です。
そして、私の場合は、体にひどいうつ状態が出ました。例を出すと、動けない・食べれない・寝れないといった症状です。常に巨大な岩を背負っているような感じで、ここ十数年は、家の中を動くのがやっとで、まともな社会生活ができない状態です。

その割には、そんな風に見えないと思いますが、いくつか理由があります。
まず機能不全の家庭では、家族の心身よりも、世間体や見てくれを重要視します。
私の親も、他人・家族の前で絶対に弱みを見せない人間です。他人・世の中からダメな人間と思われるのが怖い、迷惑がられて嫌われるのが怖い、そういう気持ちが親や家の中に充満していました。
例えば私が生きるか死ぬかの問題を父親に言う、すると父は「つまらんこと言うな!」と怒鳴る。
そんなことが人生で何回もありました。父にとって私が生きるか死ぬかなどは「つまらない事」なのでしょう。
そして母は何を言っても「そんな事ない」と言います。私が「死ぬほど苦しい」と言っても「そんな事ない」私の思い・感情のすべてを「そんな事ない」の一言で片づけてきました。
そういう中で、私も当然、家族内で弱みを見せられない人間になりました。
正確に言うと親は「完璧であるべき我が家の中に、悩みなんか持つ弱い人間はいるべきではない。いるはずがない」と、苦しんでいる子供のありのままの状態を見ることから必死に目を背け続けてきたのです。
その影響のひとつですが、私は体のあちこちが悪くて、たくさんの病院へ行くのですが、どれだけ辛くてもお医者さんの前ではポーカーフェイスをよそおい元気そうにしてしまいます。

私が今日ここに立っているのは、機能不全家族について知ってほしいということもあります。
一般には知られていませんが、大きな社会問題だと思っています。
うつ病・依存症・嗜癖の問題・いじめ・DV・いろいろな犯罪など、すべてとは言いませんが、機能不全家族が関わっていることも多いと思っています。
皆さんの中でも経験されてきた方も多いと思いますが、私の場合も、自分や親の心の中・家庭の中に劣等感・自己否定感・恐怖感・空虚感・イライラ・怒り・孤独感・・・等が満ち満ちていました。
そしてそれらを表に出すのはもちろん、そういったマイナス感情を感じることすら「人間として下劣な、我が家の中ではあってはならない事」として許されない集団でした。ちなみにうちでは、楽しい・嬉しい・冗談を言うというような、プラスの感情すら「はしたない」として、表現する事が許されませんでした。こういうことを言うと、うちの親は「そんなことは一言も言ってない」と激しく反論します。そこなんです一番の問題は!自分達が何十年もしてきた事・言ってきた事に全く気付いていないのです。正確には必死に、まさに命を懸けて目をそらし続けているのです。詳しくはまた後で述べます。

そんな中で、もし私がお酒が好きならアルコールに依存していたかもしれません。ギャンブルにも依存していたかもしれません。薬物があれば依存していたかもしれません。そういう意味で、ここにおられる皆さんも私も、出ている症状は違うけれど同じ問題を抱えていると言えるかもしれません。
そして、世の中はでは、うつ病だ・摂食障害だ・依存症だといば、「心が弱い・我慢できない、ダメな人間だからなるんだ」などと言いますね。皆さんもそういう言葉や態度に、おそらく沢山傷ついてこられたことでしょう。でも正反対です!皆さんは、普通の人間ならとても耐えられないような状況に、長い間耐え抜いてきて、今ここにこうやって人生を少しでも良くしようと勉強しに来ている!それってすごい事だと思います。

そして、そういう方も多いでしょうが、私も自殺、あるいは親を殺そうと思ったことが人生で無数にあります。今のところは実行せずに生きてますが、それは、本当にたまたま運が良かっただけで、何かが一瞬一秒違えばそういう事もしていたでしょう。
よく子どもが親を殺したというニュースが報道されます。
「いいご両親だった」「いい家族だった」というコメントも見ます。
でも本当の意味でいい家族の中で殺人事件が起こりますか?
そしてメディアは「近頃の子は我慢できずにすぐキレる」などとも言いますね。もちろん本当にそういう子もいるでしょう。でもそこまでしてしまう子どもの心の中にどんな思いがあると思います?その子は我慢できないんじゃない!逆に普通の人には耐えられないような状況の中で、我慢に我慢を重ねてきて、その積み重なったものが、小さなきっかけで爆発してしまったんじゃないですか?

「親の心子知らず」という言葉がありますが、逆に「子の心親知らず」で、子供の心に一生寄り添おうとせず、子供の心身と人生をボロボロに破壊する親というのは実際に存在します。
そしてその中でも最も厄介な例は、うちの親のように、子供のことを一切理解していないのに、「自分は子供のことを手塩にかけて育てた素晴らしい親だ」とか「我が家は、何一つ問題のない世界一素晴らしい家庭だ」と思い込み、こうあるべきの理想論、形だけの真っ赤な嘘を世の中に必死にアピールし続ける。そういう親がいます。
社会はそういう事をきちんと理解してほしいと思います。
とは言っても、それらは家庭という密室の中で、しかも多くの場合、証拠を残さずに行われ、そのうえ小さな子供なら親と離れて生きていけないので、狂った状況に自分を適応させて生きていくしかないという悲しい現実があります。

機能不全家庭の親について、これは一つの例ですが、ある特徴から2種類に分けることができると思います。
ひとつは「不良親タイプ」
これはその名の通り、誰が見ても子供を身体的に虐待してるとか、明らかに問題がある親だと、外から見てわかりやすいタイプです。
もうひとつは「いい人タイプ (偽善者タイプ)」
家の中と外で全く人格が変わるタイプです。
うちは後者ですが、まさに二重人格と言えるような凄まじいものでした。両親二人とも、社会的に立派と言われる職業に就き、高いポストにまで登りつめ、世界中の誰より立派・優秀・完璧で、世の中の誰より道徳・礼儀・社会規範・正義を重んじ、異常なまでに他人に尽くす人間です。そういう外では神様のように思われる人間が、玄関を通ると人格が一変しました。
これはほんの一例ですが、例えば父親は、異常なまでの強迫観念・清掃脅迫・整理整頓強迫で、家の中にホコリひとつ落ちてる・水が一滴こぼれてると言っては、家にいる間中、母親を怒鳴り続けました。母親も父親を恐れ、またいい妻を演じている自分に酔って「はいはい」と従っていました。明らかに共依存の関係です。
ここにいらっしゃる方も多いと思いますが、家の中に親の怒鳴り声が響き渡るというのは、子供にとって血も凍るような恐怖体験です。
実際私も、父親の怒鳴り声にいたたまれず、夜に家を飛び出して、行く当てもなく徘徊したことは何度もあります。母親は学校の先生をしていましたが、外ではいい先生を演じている人間が、自分の子供が父親の怒鳴り声に耐え切れず、夜に家を飛び出し徘徊している事実さえ知らない。悲劇を通り超え、ブラックジョークですね。
話を父親が母親を怒鳴るという事に戻すと、それだけで子供にとって恐怖ですが、一番の問題は本人達がそれを全く自覚していないという事です。それは知らないふりをしているのでなく本当に意識に上っていないようです。「自分は家の中で怒鳴るような、そんな下等な人間のはずがない」とすべて無かったこととして何十年も目をそらし続けてきた、信じられないような世界です。しかも逆に私が真似をして少し大きな声を出しただけで、二人束になって徹底的に批判する。まさに「自分を棚に上げる」というやつです。

小学生の時に、「どうして父親は言いがかりをつけて母親を怒鳴るのか」二人の前で聞いたことがあります。父親は当然のように「何つまらんこと言っとる」と怒鳴りました。私は怒鳴られる母親を助けようと思い、そういう行動をとったのですが、その母親も「何、変なこと言っとる」と私に言いました。
(あれ?この二人はいつも困っている人は助けろと言ってるのに・・・母は困っていないの?私のしたことは間違ってるの?)ダブルバインドです。そんな中で子供の正常な感情は育まれません。

ちなみに、うちのように子供の目の前で片親が片親に身体的・言葉での暴力行為を行うことを「面前DV」と言います。面前DVは子供への心理的虐待であると正式に認められています。
その他、うちの場合は、大事な物を勝手にポンポン捨てられました。
そして父親は、子供を育てる事を、まるでサーカスの動物のように「仕込む」と言う言葉を使ったり、ゾッとします。
あと電灯すらない真っ暗な山奥に、私が2時間放置され、親は酒を飲んできたとか、行き先を言わず引っ越すなど、異常な行為は枚挙にいとまがないのですが、時間がないので割愛します。

ACや依存症の言葉でパワーゲームという言葉がありますが、まさにうちは、安らぎの場ではなく、戦いの場でした。父親は常に「うちの中で、自分が一番強く優秀で、一番正しい」と存在を誇示し続けました。小学生の私にすら自分の優越性を力ずくで認めさせようとする、極度に劣等感の強い人間でした。そして、外では怖くてできないから、家の中で正義の仮面をかぶって必死に偉ぶる、弱虫で最低の人間です。

先に二つのタイプの話を出しましたが、「不良親タイプ」の言動が子供にとって、例えばナイフで体を刺されるような苦しみだとしたら、「いい人タイプ」の親を持った子供の苦しみは、家の中に見えない毒ガスが充満しているような、何が原因で何が苦しいのか状況が全くつかめない恐怖です。
そして「いい人タイプ」の親を持った子供のもう一つの苦しみは、家の内外の人に助けを求めても、人は一切信じてくれないという事です。
私も小さい頃から出会う人出会う人に「立派で上品なご両親やね」「素晴らしい家庭やね」と言われて育ちました。そういう世の中の人々に助けを求めても「そんなはずないやろ」の一言で終わります。
真実を、世の中の誰も信じてくれない、理解してくれない、助けてくれないという最悪の状態に陥ります。

もうひとつ苦しいのは、私の妻と子の前でも両親は「いい人」を演じているので、妻子すら私のことを100%信じてくれないという事です。
妻は言います。私と親の言う事が常に何もかもが正反対なので「誰を信じていいか分からない」と。子供なら尚更でしょう。妻子にとって私は、病気で寝てばかりいて、「立派で優しい両親に反抗する嘘つき」だと見えているのかもしれません。
もちろん、そういう中で家族関係も険悪になります。

でもよく考えたら、今まで、私が何か悪いことをしてきただろうか?異常なまでの権力主義の家庭内で、親と違うことをすると、嘘つき・気違い扱いされ、自分の意見を持つことも禁じられ、親の言う事に全て従ってきました。
でもそれはおかしいと気づき、自分の人生と家族の問題点・悪習慣をしっかり見つめ、それを治そうとし始めました。すると周囲全てから、「親に反抗して、恩を仇で返すダメ人間」として徹底的に批判される。
そんな人生とてもやっていけません。

私は今まで、機能不全家族の親を批判するようなことを言ってきましたが、実は機能不全家族で育った子、つまり私も同じコインの表と裏と言えます。
恐ろしいまでの支配・管理のもと、私は十数年前まで自分の意志を持たない、親の完全なコピーロボットでした。「世代間の負の連鎖」と言いますが、私は親の生き方・考え方の悪いところをすべて受け継いだコピーでした。(だから、今、親の感じていることも、はっきり分かるのですが・・・)
その間に子供にも恵まれましたが、親の精神的支配下にあった私は、自分の子供達にもその悪習慣を無意識のうちに伝え、彼らの人生に大きな悪影響を与えたこともしっかり自覚しています。
その後私は、家庭内の問題から目を背けず直視し、少しずつ、自分と家族の人生を立て直してきました。イメージしやすいように数字を使って例えると、私の育った家庭はマイナス10000点の家庭でした。でも私の今の家庭はマイナス4000点くらいまでは持ってこれたかなと思っています。ちょっと自慢っぽい言い方かもしれませんが、マイナス10000点の家庭で育った人間が、マイナス4000点の家庭を作るって、ちょっとやそっとでできないことなんです。ここに来るまで、どれだけ大変だったことか・・・。
誰一人理解してもらえず、信じてもらえず、助けてもらえず、たった一人で地下から這い上がってきました。もちろん、自助グループの皆さんにはすごく助けられてきました。その点はすごく感謝しています。
そして私は自分の家庭の、下の世代への「負の連鎖」を可能な限り少なくするよう、日々試行錯誤しています。

今は親に謝ってほしいとか、自分のしてきたことを自覚してほしいとか、そういうことはもう求めていません。長い間こちらは真摯に親に対し働きかけをしてきましたが、まともな会話すら成立しません。
家の外では仏様のように物わかりのいい親が、また家の外ではたくさんの人間を前に立派な話をしている親が、家の中で私と話をすれば小学生レベルの水掛け論と嘘しか出てこない。人間としてまともな会話すら成立しない。もうどうしようもない人間だと身に染みて感じさせられてきました。
私は親に対して憎しみも大きいですが、それ以上に哀れな人間だと軽蔑しています。親のような人間だけにはなるまいと思ってきました。
私はただ、自分の新しい人生をスタートさせたいのです。「あなたたちのため」「家のため」などと言って、ストーカーのように執念深くネチネチ絡みつき、干渉するのをやめてください!と言っているだけです。
それを何万回言っても、父は怒鳴り、母は何百回と泣いて謝ったりするふりもしましたが、子や孫に干渉することをやめられない・・・明らかに嗜癖行動です。

これは本当に難しい事ですが、赤ちゃん・幼児・小学生・中学生・高校生、すべての子供が家庭の中で安心して暮らしていけるような世の中になることを強く願い、私も何かの力になれたらと思いお話しさせて頂きました。

 最後に皆さんに問いかけます。
     家族って何ですか?
     親子って何ですか?
     愛って何ですか?
     人生って何ですか?
 
 ご清聴ありがとうございました。



 以下、発表後のGさんの感想です

今回は、嗜癖関係自助グループの交流会において、体験談及び自分の意見を発表させて頂き、また様々な悩みを抱えておられる多くの方のお話も聞くことができました。
このような、貴重な体験をさせて頂いたことに感謝しています。
発表にあたり、時間をかけて、自分の人生と家族というものを振り返り、それらを文章化することで、より自分というものを深く知るきっかけになりました。
自助グループ「アロー」と、そこに参加されてきた方々との出会いは私にとって大切な宝物です。ありがとうございました。

2017年 3月  Gさんより  

 2015年3月、「嗜癖関係の自助グループと関係者の交流会」にて
 グループ「アロー」を代表して発表したFさんより
 当日の発表内容です。

こんにちは。
私は、AC自助グループ「アロー」のh-aです。
家族が家族として機能していない家庭で育った、アダルトチルドレンです。
過去には、共依存傾向もとても強かったように思います。
共依存症というのは、人との関係に囚われている症状です。相手は相手、自分は自分。という考えができませんでした。
自分が望むようにありがたがられないと、「こんなに私が頑張ってるのに・・・」「言うことをきいているのに・・・」という思いがふくれ疲れてしまい、しまいには「こんな役に立たない私は、いなくてもいい。生きている価値がない」という思いになってゆきます。

思えば、物心がついた頃から漠然と「死にたい」というおもいがありました。
30歳前後の頃だったと思います。
職場で意地悪な同僚がいて、暴力を含めた嫌がらせを受けていました。
家へ帰ると、夫は何か不機嫌で、イライラをぶつけてきます。
日頃から何かと問題行動の多い父が入院し、面倒を見なきゃいけないと母や親戚が愚痴ばかりこぼし私を頼ってきます。
その頃は、毎日毎日「生きていたくない。いいことなんて何もない。死にたい」と思っていました。
私はこの思いを今は『死にたい病』と名付けているのですが・・・
当時この「死にたい病」が出てきたらそれを打ち消す心の声が「親より早く死んだらダメや!お母さんが悲しむ」でした。
しかし、いよいよどうしようもなく「死にたい」症状に駆られ、自問自答しました。「本当に私が死んだらお母さんは悲しむのか?」
ここからが、私が自分の過去起ったことに向き合う始まりでした。

私の育った家族は、いつも喧嘩が絶えませんでした。
父の話をすると長くなるので、ここでは止めておきますが、とにかく親戚や地域の人たちから奇異の目で見られるような、問題の多い人でした。
食事の時間は、その父を何とか世間から変に思われないようにしようと、母の小言が始まり、次第に汚い言葉で大声の罵り合いになります。そのうち、言葉で負けてしまう父が母にお茶碗を投げたり、暴力を振るいます。
暴力を振るわれた母は、腫れて怒った顔をして泣きながら、私に命令します。「おじちゃん、呼んできて!」と・・・
おじちゃんとは、父のお兄さんで、歩いて10分位の近所に住んでいました。
今でも覚えています。夜中、真っ暗の中、泣きじゃくり歩いて伯父の家へ向かいます。
寝ている伯父に「おじちゃん、来て~、お父さんとお母さんがまた、喧嘩しとる~」と呼びに行きます。
すると伯父が起きてきて、「おまえのお父さんもお母さんもどうすることもできん奴らやなぁ」と、とても面倒臭そうに、私に文句を言いながら、一緒に家へ向かいます。
そして、伯父は「こんなどうしようもない男は叩いて分からせるしかない」と言って父を殴ります。これで、喧嘩は終わります。
母が泣きわめく姿を見るのも、父が殴られるのを見るのも、伯父が殴る姿を見るのも、とても怖かったです。
以前勤めていた会社は、ノルマなどある会社で、会議の席とかでは、大きな声で議論したり、上司が部下を叱咤することがありました。
私は会議中が苦痛で、胸やお腹のあたりがキュウゥっと締め付けられるような感覚になり、息苦しく、何も考えられない状態に陥りました。苦しかったなぁ・・・
今、思えば、ACの後遺症がこんな所にも出ていたんだなと思います。

母は台所でご飯の支度をしながら、「あんたらがおらなんだら、とっくにこんなとこ出て行くわ」「あんたらさえおらんかったら・・・」と、自分の置かれた境遇の不幸を恨み、父の親戚や縁者の悪口や自分の苦労話を私に聞かせました。
たぶん、生活の疲れからであろうけれど「運んだ水をこぼした」「やれと言ったことをしてない」「家事仕事が増える」と言ってヒステリックに私を怒ります。執拗に責め立てます。
怖かったです。でも、私が悪い子だから良い子にするために・・・私のために・・・母は厳しく怒るのだと思ってました。
当時、母の他人に媚びるような笑みは見たことがありますが、笑顔を見た記憶がありません。
学校の話や自分の話を母に聞いてもらった記憶がありません。
私さえ居なかったら、母は自由に好きな人生を歩めたのに・・・私は居てはいけないんかな?こんなに苦労をしている母に迷惑をかけてはいけないと、思っていたようです。
そんなこんなで、漠然とした「死にたい病」が心に住み着いて、母のために頑張って生きなければ・・・と、ギリギリのところで踏ん張っていたのかもしれません。

ACの後遺症を自覚してからも苦しかったです。
今まで蓋をしていた嫌な記憶がどんどん、どんどん出てきます。
今まで以上に「私なんていないほうがいい」という思いが出てきました。
ACのことを書いた本には「自助グループに参加しましょう」と書いてありましたが、当時、私が探した限り石川県に自助グループはありませんでした。
過去に囚われながら、現実生活でも悩みを抱え、苦しかったです。
そんなとき、一人の友人が、「私はアダルトチルドレンなの」とカミングアウトしてくれました。
家庭環境は違うけれど、同じように家族の問題で心に深い傷を持つ人から初めて話を聞き、私も少しずつ話せるようになってきました。
「死にたい病」が出てきた時も、その友人には話せました。
次第に、毎日「死にたい」から週に1回、ひと月に1回、半年に1回とその思いが薄くなっていきました。
今でも年に1,2回はありますが、「これくらいは誰もがあるのかなぁ・・・」と、楽観しています。
自分は自分。死にたいと思ってもいいし、嫌なことはイヤと言っていいし、ダメなことなんてないな。と思えるようになりました。
そして、今は自助グループに集まる仲間もいます。

グループが発足されて5年目になりますが、グループ「アロー」では、とにかく楽にいられることを一番に考えています。
一番休めるはずの家庭で、常に緊張し、びくびく怯えて生活してきたわけですから、安心できることを一番に考えています。
何回来なければいけないとか、話す順番とか決まりごとは一切ありません。
毎週水曜日にやってます。
参加者はそれぞれ家庭環境も全く違うし、表面に出ている症状も違うけれど、弱みを見せてもいい、と思える人に、話したり聴いたりすることで、満たされなかった自分の中の子どもの部分を振り返りながら向き合う時間になっています。

今日は、話を聞いてくれて、ありがとうございました。

  
以下、発表後のFさんの感想です

発表前から、ワァァーーどうしよう(^^;)大勢の前で本当に話さなきゃいけないのかな・・・と不安がつのりました。
でも、昨年、一昨年のk-kさんとiさんの取り組んでいた姿を思い出し、それが励みとなりました。
何を話そうか・・・と草案中には10分では足りないと思うくらいどんどん過去のいやな出来事が湧き出てきます。原稿を仕上げ、ひとりリハーサルと思い声を出して読み上げてみました。すると、胸が詰まり、涙が込み上げ、言葉が詰まってきます。
あーーーぁ、もう、過去のことだから・・・許していたはずなのに、今でも、自分のことを話すことがこんなに苦しいんだなぁと再度、実感しました。
当日は、マイクを持つ手がどんどん震えてきている自分を体感していました。
今は、スーっと、晴れやかな気持ちでいます。
自分のできることプラス少しのチャレンジ。
誰が見捨てようとも、へこたれようとも、私だけは自分の身体と心を大切に思い一生付き合っていこうと思っています。
交流会が終了し、
お別れする時、NAの方から握手を求められ、互いに言葉は交わさずとも、真っ直ぐ目を見て握手したこと、忘れられません。うれしかったです。ありがとうございました。
                                 
2015年 3月  Fさんより

 2014年3月、自助グループと医療福祉関係者の交流会にて
 「アロー」を代表して発表したEさんより、その時の内容のまとめを頂きました。
 

○アダルトチルドレン(機能不全家族)とは?

子供が子供らしく育つことが許されなかった家族のことです。
正常な機能をしてない家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つという考え方、現象、または人のことを指します。

私はこれまでアダルトチルドレンという言葉は聞いたことがなかったです。
ですが数年前にアダルトチルドレンを知りました。
ここで発表することすら全く想像しなかったことです。
なぜアダルトチルドレンになったのか?
純粋で無垢な人間だったからです。
そこからいろんなことを親から植え付けられるのです。
カウンセリングといっても最初は何を話していいかもわからず沈黙が多かったです。
少しずつではありますが今はお話が出来るようになってきました。
新たな一歩を踏み出したところです。
では、どんな環境で何を感じてきたのか?
どんなことを植え付けられてきたのか?
アダルトチルドレンの生き辛さとはなんなのか?
をお話したいと思います。

○幼少期から成人するまでの環境

どこにでもある家庭の、たった一つのお話です。

両親の仕事が不規則で小さい時からじいちゃんばあちゃんに育てられました。
じいちゃんは朝から酒粕を食べ、ばあちゃんに暴力をふるい、夜は酒をしゃあしゃあ飲んでいました。
父親は週に1回帰ってくる状況で、帰ってくるたび「おとなしくしとったか?」と聞かれ
じいちゃんばあちゃんが常に見張り役で生活態度にしろ学校の成績にしろちょっとでも悪かろうなら「なにやっとるんや!」と感情を露わにして怒鳴られました。
母親も不規則なので、いつも寝ていて機嫌も悪い日が多く、接する機会も少なかったです。
怒られることが多かったですが家族は皆、怒る人の味方でとても怖い毎日でした。
母親は極々まれにかばってくれることもありましたが父親が「そんなかばうな!」と暴力を振るい、そういう場面は見たくなくて母親が暴力を振るわれるのも「自分のせいかな」と思ってました。
怒られたくなかったら「家の人の言うことを聞け!泣くな!我慢しろ!」ということです。
私なりに我慢して勉強も頑張りましたし、我慢して運動も頑張りました。家では無理しておとなしくしてましたが怒られる理由がわかりませんでした。
家族の顔色をうかがいながらびくびくし、ちょっとしたことで怒られ、怒鳴られ、言うとおりにしていても、「子は親の言うことを聞いて当たり前や!」と言われ、精一杯頑張っても「もっとやれ!」と言われます。
もう家にいなくても見張られてて、怒鳴られているような気がしてきました。
自分でもどうしていいかわからず、幼いながら「こうなるのは自分が悪いから」と自分を責めてました。
そんな毎日でしたが私にも夢はありました。
「新幹線の運転士」です。
まわりは皆揃って言います「親の言うことも聞かんし、なれるわけないやろ」
今、話したことは親のしつけ、親なりの愛情表現、親の責任から出てきたものと思います。
子供の持っている夢を親に否定されるものほど傷つくことはありません。
涙は出なかったです。感じたのは絶望です。
「お前は、長男であととりやから親の言うことを聞いて大学出て、しっかりとしたところに就職して家族の面倒をみんなんげんぞ」と強く言われてました。
実際、本心ではないですが試しに「警察官になる」とか「医者になる」とか言うとニコニコしてました。
また親戚も好き勝手言います。「あれやれ、これやれ」
いつしか家に帰るのもほんと嫌になり、家に帰るまでは友達の家で時間をつぶしたり、家にいる時間を少なくするがためにわざと塾に行ったり、少年スポーツクラブに行ってました。
塾などに行くと言うとなぜか親は喜びます。本当は家に帰りたくない、という気持ちはわかってもらえませんでした。

○楽しかったこと

唯一、お祭りの日は羽を伸ばせました。
親戚の子と思いっきり遊びました。
ぐらいしかないです(泣)

○成人するまでどんな気持ちですごしてきたか?

長年こういったモヤモヤが払拭できず、うまくいかなかったり前に進むことができず、理由もわからず苦しみ、なんで自分はこうなんだろう?自分はダメだと葛藤の連続でした。(吹っ切れることはない)
毎日が得体のしれない恐怖と不安でいっぱいでした。
いつの間にか気持ちを抑え込み自分を表現できなくなってしまいました。

○成人してから

ほぼ親の言うとおりにしてきましたが満足感や達成感が得られないです。
人間関係はぎくしゃくし、人との距離感がつかめなく、感情に流されてしまい、建設的な考え方もできません。
人が怖いです。怖いというものの人目を気にします。
人目を気にしすぎて自分を大きく見せたがります。
褒められても素直に喜べないし(なにかたくらみがあるのでは?と思う)
他人の悪いところばかり指摘してしまいます(自分の優越感を得るため)
また、家に帰るのが怖く、そこから逃げるため仕事、趣味に没頭しそれなりの成果を上げましたがなぜか虚しさが残ります。
親がレールの上を走らせようとしているので、結婚、子供、働くこと、老後の親の面倒を見ることで親は自己満足しようとしています。親として周りからの評価を得ようとしています。

○今現在は?

家から出るのは怖かったですが、一人暮らしを始めました。

4年前に精神疾患を患ってしまいショックでしたが、自分を見つめ直すキッカケになると思いました。
ですが、現実は薬の副作用などでそんな気持ちの余裕はありませんでした。
しかし、再度見つめ直そうと思う出来事がありました。
それは、会社の20年勤続表彰です。
沢山の電話、メール等頂きまして喜ばしいことと思いますが、心の中では嬉しくなかったです。
今まで何をしてきたんだろうと振り返り、「何も自分のしたいことをしていないし、自分をないがしろにしてきた!」ということに気づきました。

○この先将来は?

精神的にはまだよちよち歩きなのだと思います。

過ぎ去った過去は1ミリも変えられませんが、今からは環境を変えていくことができます。
私は社会というルールの中、心の思うがままに生きていこうと決意しました。
まだまだ生き辛さは感じていますが、良くなっていくものと信じています。
人から見てどうであれ自分の方向性を見つけ、そして間違っていないと思います。
もちろん困難なことに間違いありませんが、私は私の人生を歩んでいきます。

ここにいる皆さん、グループに参加している皆さんにも自分の人生を謳歌していることを願っています。
ありがとうございました。


 以下、発表後のEさんの感想です。

自分がスピーチしてうんぬんよりも、参加したことがとても良かったです。
いろんな自助グループがあって、そこで人それぞれの思いがあって
自分と向き合ったり、良くなりたいという気持ちが伝わりました。
今まで、インターネットなどで、病気の方の発信しているものとか見て、自分だけではないんだと思ってましたが、こうして同じ石川県で自助グループの方の生の声を聞くということは初めてで、活字では伝わらない気持ち(言葉の重みみたいな)を感じることができました。
交流会に参加することによって考えさせられるものがあり、話を聞き、自分の視野が狭かったのか?と感じました。
中でも、AC的な方々のお話は共感できました。
日常でも突っ込んでここまで話をすることないです。自分はおかしいと思ってましたし、恥ずかしかったからです。
ある方が言っていた「正直に行こう」という言葉が残っています。あー、そうだなと思います。でも自分にとっては正直に行くのには勇気がいることです。自助グループに参加している人の言葉には思いが込められているので、信用できるというか、勇気が持てるというか、いけそうな気がしました。
また、この方はどういう気持ちなのか?もっと話を聞いてみたいなーという方もおられました。
スピーチしたことよりも得られる収穫が大きかったです。
今後も「アロー」に参加していこうと思ったし、いろんな交流会などにも行けたら行こうと思いました。
ありがとうございました。
                                        
2014年 6月  Eさんより

 昨年(2013年3月)自助グループと医療福祉関係者の交流会にて
 その交流会で「アロー」の代表として発表したDさんより、このようなお便りを頂きました。

昨年、交流会にて発表してみようかと思ったきっかけが、この『メンバーの声』でした。
「アロー」へ参加するようになってちょうど1年近く経ち、林さんからホームページの『メンバーの声』のことを伺い、自分のことを振り返って内容を考えてみようかな、と思っていた矢先に交流会の案内がありました。
内容を考えることは重複する部分も多い気がして、それならば思い切って発表してみようか、とかなり勇気を出してやってみることにしました。
やり始めてみると、自分を振り返り、それを文章にする作業はとてもしんどくて、思った以上になかなか進みませんでした。もともと文章を纏めることが苦手なせいもあるかと思うのですが・・・。
しかし、やると言った以上はなんとかやり遂げたいという気持ちで自分自身を支え、また林さんにも相談にのってもらったり、アダルトチルドレン等に関して改めてレクチャー頂いたりして、何とか発表するまでに至りました。自分なりの発表でいいよ、と重ねておっしゃって下さったのが、とても心強かったです。

当日は、とても緊張しました。初めての参加で状況が分からないこと、また結局、最後まで原稿が完成しなかったことなども不安でした。ただ原稿については、自分を振り返り、内容を考える作業までは出来ているし、仕事の合間を縫って徹夜することもあったりしながら精一杯取り組んだ結果であったので、それでいいと思うことにしました。
発表を終えてみると、本当にすがすがしい気持ちになれました。発表自体がうまくいったということではなく、自分なりに考えて精一杯取り組み、発表できたことをとても嬉しく感じた気がします。
そして、恐る恐るではあるけれど、今まで言葉にしなかったことをみんなの前で発表することが出来たことで、その分、心が軽くなった気がしました。

他の自助グループの方々の発表については、誠に素晴らしく、困難な自分の問題と向き合いながら、日々を一生懸命に生きている人達がいることを実感し、とても励みになりました。
また、発表を聞いて、自分自身や家族の依存について考えるきっかけとなりました。
そういったことを含め、とても感動的で有意義な会であり、心に残る夜でした。

それから、1年近く過ぎました・・・
改めて当時を振り返り、会で発表させていただいた感想等をこの『メンバーの声』に載せて頂こう!と思いました。
ずっと気に掛ってはいたものの、仕事の事で余裕がなかったこともありまして、大変遅くなってしまいました。

アダルトチルドレンからの回復については、林さんもおっしゃっていたように、私も終わりがないように感じています。また回復というのは、これまで歩いてきた道を振り返ってみて、初めて感じられることである気がします。
これまで「アロー」で回復出来たことに感謝し、これからも回復に向けての取り組みを日々継続し、努力し続けたいと思います。そして、時間が許す限り「アロー」へ参加して、仲間と共に回復の道を歩むことを大切にしたいと思います。

 以下、Dさんが当日の発表した内容(ほぼ全文)です。

 私は、AC=(アダルトチルドレン)の自助グループ、セルフヘルプグループ「アロー」に参加しておりますk-kと申します。アダルトチルドレンというのは、「アロー」の発起人である林さんの言葉をお借りいたしますと、機能不全家族=子供が子供らしく育つことが許されなかった家族で育った子供たちが、心に何らかの傷を負い、その傷が原因で大人になっても生き辛さを感じる人たちのことです。
 今日は自分の病気や辛かったこと、自助グループでの回復などについて10分程度で話してほしいとの旨でしたので、まずは自分の状況や抱えている問題についてお話したいと思います。

 私が「アロー」へ参加するきっかけとなったのは、子育てにつまずき、子どもとの関係に困難を抱え、それでも何とか子どもとやっていきたいと思ったときに、自分の問題を解決しなければどうしても先へ進めないと思われる状況に陥ったためです。その頃は、まだ自分の抱えている問題をはっきり認識出来ておらず、子どもを産み、育てる過程において初めて認識した、母親に対する凄まじいまでの怒りを感じている程度でした。
 私の育った家庭環境は、明らかに機能不全家族である、と分かる様子のものではなく、一見すると良い家庭で、母は『良い母親』と称されるような母親でした。実際に「良いお母さんね。」とよく言われたりしていましたが、私自身は不思議なほどそういった実感はありませんでした。そのような状況であったことも影響していたかと思われますが、自分の抱えている問題と自分の家族との関連等についてなかなか認識することが出来ず、よって他人に説明することも出来ない状況でした。
 しかし、「アロー」へ参加するようになり、少しずつ自分や家族について言葉にすることが出来るようになってきました。そのような中、今回の機会を得ることとなりました。お話させていただくにあたり、「アロー」への参加を発端とし、気付きはじめた自分の問題等について整理し、今後解決したい問題を明かにすることに取り組みました。一端ではありますが、少しお話したいと思います。

 まずは、私が実際に診断を受け、治療を行ったことがある精神疾患としては、双極性障害があります。躁鬱と呼ばれているものです。また、幼少期から悩まされてきたものに自家中毒と起立性調節障害があり、高校卒業時までお医者さんにお世話になっておりました。どちらの病気も小児に多くみられるもので、大人になったら治るよ、と言われてはきましたが、現在でも症状は残っており、私の不安要素の一つです。
 その他、「アロー」に参加するようになって以来、自分の問題として認識するようになったことが3つあります。それらは、そうであろうかと感じてはいたものの、今までは言葉にしてこなかったものですが、今日はここで言葉にしたいと思います。因みに、現時点では自己診断レベルのものです。
 まず、私の問題の一つにADHD=注意欠乏多動性障害があると思われます。発達障害の一種で、成人女性の場合について「片づけられない女たち」といった旨の報道がなされたことがあります。
 次に、境界性人格障害=境界例、ボーダーがあると思います。障害の範疇に含まれる程度なのかは分かりませんが、傾向はあると感じます。
 そして、三つ目として愛着障害があると思われます。

 次に、アダルトチルドレンについて少し説明させて頂き、自助グループ「アロー」での回復についてお話したいと思います。

 アダルトチルドレンとは冒頭でもご説明したとおり、機能不全家族で育ち、心に何らかの傷を負い、その傷が原因で大人になっても生き辛さを感じる人たちのことですが、「アロー」では、特に初めて参加するメンバーがいらっしゃる場合、林さん自身のイラストによる『アイスバーク=氷山のモデル』を用いて説明があります。
 アイスバークのモデルというのは、神経症等の諸症状とアダルトチルドレンの問題との関連性を示した図です。海面から上に見えている氷山の部分は、神経症・依存症・共依存・心身症等の自覚できる諸症状を表し、それらの発生原因として海面下の目に見えない大部分をアダルトチルドレンと関連付け表したモデル図です。「アロー」では、その氷山の部分ではなく目に見えない、海面下を見てゆきます。
 私も初めて参加した際に説明を受けましたし、その後も何度か伺っております。その中で多くのメンバーから質問があり、印象に残ったという感想が聞かれ、そして私自身もとても印象に残った内容として、「インナーチャイルド」と「ワンダーチャイルド」というのがあります。
 「インナーチャイルド」というのは満たされない自己=自分の中の満たされなかった子どもの部分のことであり、「ワンダーチャイルド」というのは真の自己=生まれながらに持っている本来の自己のことです。アダルトチルドレンの人は機能不全家族で育つ過程において、本来の自己を失い、代わりに「インナーチャイルド」を心の中に抱えるようになるといいます。そして、アダルトチルドレンからの回復というのは、この「ワンダーチャイルド」=本来の自己を取り戻すことである、と説明されています。
 また、林さんからのレクチャーによりますと、回復のプロセスには第1段階にアダルトチルドレンの自覚--例えば、自分がアダルトチルドレンかもしれないと思って参加する等の自覚、第2段階が嘆きの仕事、第3段階として人との関係の再構築という3段階のプロセスがあるそうです。

 ここで、「アロー」について少しご紹介いたします。
「アロー」はカウンセラーである林さんがご自身もアダルトチルドレンであることを知り、回復を目指して発足なさった自助グループで、林さんは毎回メンバーとして、またサポーターとして参加なさっています。
 ミーティングは通常、第1・第3水曜日は昼間の時間帯、第2・第4水曜日は夜の時間帯で1時間半程度開催されます。場所は、普段はカウンセリングルームとして使用なさっている林さんのご自宅の一室で行われています。参加費用は1回1,000円で、いつもお茶とお菓子が用意されています。お部屋の冷暖房完備はもちろんのこと、アロマを焚いて下さっているので、とてもリラックスできる快適な環境です。私はいつも夜の時間帯に参加しておりますが、メンバーは多い時は4~5人、時には林さんと2人のこともあります。
 ミーティングは、本日の冒頭で私自身も「k-kです。」と自己紹介いたしましたが、同様に各自が呼んでほしい名前を名札に書いて、その呼び名を使用します。そして、ミーティングの最初には、初参加の方がいらっしゃる場合も、同じような顔ぶれのメンバーの時も、サポーターである林さんから会の趣旨や守秘義務について、毎回同じ説明があります。その後、少人数でアットホームな雰囲気の中、話したい人が話したい内容を話し、それに対してサポーターである林さんが他のメンバーに話を広げて行く、といった形式でミーティングを行っています。そして最後に、毎回同じ言葉--アダルトチルドレンからの回復について書かれた本の一節にあるアファメーションの言葉をみんなで唱え、本に書かれているその日の内容を林さんが朗読して下さり、会は終了となります。

 最後に、私が「アロー」へ参加するようになり、どんな変化があったかということを回復としてお話したいと思います。
 まずは、最初にお話し致しましたように、参加し始めた当初、自分の状態からアダルトチルドレンであろうと思ってはいたものの、自分が育った家族の具体的な問題については全く見えていない状況でした。よって、自分の家族のことについてほとんど話をすることがありませんでした。しかし、メンバーが自分の育った家族のことを話すのを聞いて、自分も同じような経験や同様の感情を抱いていたことを思い当たり、少しずつ話をするようになりました。そして、そのようにメンバーの話を聞き、自分も思い当たることを話してみることを積み重ねていくうちに、母親からの虐待について認識出来るようになりました。
 母親からの虐待は、身体的なものではなく、精神的虐待の範疇ではなかろうかと以前から薄々感じてはいたのですが、メンバーと話をすることで、確かに母親からの虐待があったと認識するようになりました。彼女から受けていたものは精神的支配や言葉の暴力であり、それらによって私はとても傷付いていたものの、母親からは傷付いたという感情を否定されることが常でした。そのうちにそういった感情を持つことを禁じられているように感じ、無意識のうちに感情自体を否認し、抑圧していたような気がします。
 その後も、さらに話をすることを積み重ねたり、また、過去の記憶を手掛かりとし、自分の問題を整理する過程を通して、母親の人格障害とも感じられる、不自然で不可解な言動や行動を認識するようになりました。そして、精神的虐待以外にも虐待があったのではないか、と感じるようになりました。少なくとも記憶のある時期においては、身体的虐待を思い当たりません。では、私が感じているものは何であったのか、実際に精神的虐待以外にも虐待はあったのだろうか、といった漠然とした疑念を抱くようになりました。そういった不明瞭、不明確な事柄についても「アロー」の中では感じていることをそのまま言葉にすることが出来ました。また、メンバーの色々な話を聞いて、過去の出来事の記憶が呼び起こされることもありました。
 そのような体験を積み重ね、今回ここでお話させていただくにあたり、改めて自分の問題等を整理する過程において、母親の精神的虐待以外の虐待に関する出来事について認識するようになりました。私の母親は代理ミュンヒハウゼン症候群--子どもなどをわざと傷つけたり病気に仕立て上げたりして、献身的に介護するなど悲劇の主人公を演じ、自分に周囲の関心を引き寄せるといった症状がみられる精神疾患と思しき傾向があり、そういったタイプの虐待をする母親であったと思います。
 このようなことは、なかなか見えてきませんでした。当初は、心が重たく感じられている程度でした。「アロー」への参加を通し、次第に漠然とした息苦しさや不安が心の中に漂っていることに気付き、自分でもその息苦しさや不安の元となっているのが何の感情であるのかを探る過程を経て、少しづつ明かになってきました。またさらに、過去の出来事や感情の断片的な記憶から、探り当てた現在の感情と結び付くと思われるものを探り、組み合わせてみるといった作業を繰り返しました。そして、母親からの虐待が少しずつ姿を表し、認識されるようになってきました。それはジグソーパズルのピースを組み立てていくことに似ており、一つずつパズルのピースが繋がり、ある程度組み合わさったものを眺めてみて、その正体が明らかになっていく、といった感覚でした。
 このような一連の作業は、先にお話しいたしましたアダルトチルドレンからの回復プロセスにおける、第2段階の嘆きの仕事であった、と振り返って感じます。嘆きの仕事はこれも先程のアイスバークモデルとともに触れましたが、「インナーチャイルド(満たされなかったちっちゃな私)」の存在を感じ、その存在に語り掛け、対話をしながら過去の出来事や感情を探っていくとともに、ちっちゃなその子の気持ちを受け止め、傷付いた感情を癒す、といった「インナーチャイルド」との関わりを通して進んでいったように思います。しかし、私はその存在をなかなか感じることが出来ませんでした。
 「アロー」では、メンバーの話の中で、「インナーチャイルド」の存在が語られることもありましたし、サポーターである林さんもよく「インナーチャイルド」という言葉を用いて話していらっしゃいました。林さんご自身はその存在を自覚なさっていたそうで、私を含めメンバーの話を聞いて「今、インナーチャイルドが泣いていない?その子が悲しんでいない?」といった問い掛けをして下さることもしばしばありました。最初はそういった時に「これなのかな?今、どこにいるんだろう?」というようなことを考え、その存在に意識を向けてみるところから始めました。そして、自分の日常においても漠然とした息苦しさや不安が強く感じられるときには、同じように「インナーチャイルド」の存在を探るべく、意識を向けるようになりました。次第に「これがそうなのかな?」と感じるようになり、その存在に語り掛けてみたりしながら、少しずつ「インナーチャイルド」の存在を自覚するようになりました。自覚するようになると、「ワンダーチャイルド」の存在を肯定的、好意的に捉えられるようになりました。「いつか、ワンダーチャイルドに出会えるといいな。」といった気持ちも芽生え、希望を持って「インナーチャイルド」と関わり、嘆きの仕事に取り組めるようになりました。
 そのような経験を経て、本日ここでお話させていただくことができましたことは、振り返ってみると『回復』と呼べるのかな、と私の中では思っております。

 このように、これまで私は「アロー」へ約1年参加するとともに、今回の機会を得て、自分の問題等を改めて整理する過程を通し、今やっと問題の全体像が見えつつあると感じています。
 今後についてですが、冒頭で「アロー」へ参加するきっかけとしてお話いたしました、子どもと何とかやっていきたいという目的を果たすべく、優先順位を考えながら問題解決に取り組み、それが現実のものとなるよう努力したいと思います。

                                       
2014年 3月  Dさんより 


周囲に依存症の方がいて、どのような心理・体験でそうなるのか知りたくて参加しました。
しかし、共依存のチェックを受けると、自分自身にそのような傾向があることに気付かされました。
個々の性格の範囲だと言ってしまえばそうなのですが、時々、共依存的に辛くなってしまう場合もあります。
自分を第三者の目で見ることができて、いい経験でした!
ありがとうございます♪
今のところ自分の中で負のスパイラルは起こっていない(おそらく)と思います。
「あー!これはイカン!」となりそうだったら、早めに相談に行きますね!
表現が悪いかもしれませんが「自分を吐き出す場」大切ですね~!
ウズウズがたまったら、またお話しを聞いてくださいね♪
                                        
2013年 6月  Cさんより

昨年は「アロー」の勉強会に出席させていただきまして、ありがとうございました。
おかげさまで、対人関係で悩んでいるのは自分だけではないことを知り、孤独な気持ちも少しは和らぎ、さわやかに過ごすことができています。
つらかった状態へのリバウンド防止のためにも、定期的に「アロー」へ出席したほうが良いのかもしれないと思うので、その時はよろしくお願いします。
現時点では、切羽詰まった気持ちや、耐えられないほどのつらい気持ちは湧いてきていませんので、安心しているのですが、今後いつかまた、そのような気持ちに悩まされることがあれば、お話を聞いていただきたいなと思っております。
                                       
2013年 2月  Bさんより 
                                         
自助グループ「アロー」に参加させてもらってた当初は、私自身行き詰った感じだったので「アロー」に受け入れられてスゴく助けられ感謝、感謝でした。
それから、数ケ月の間、おかげさまで私自身の成長と変化があり元気になってきました。
色々と落ち着いて自分で考えたり対処できるようになってきました。
なので、親子関係、夫婦関係ってことをあきらめないってことで頑張って行くつもりです。
はやしさんとアローの場には本当にお世話になり今までありがとうございました。
でも、また問題が浮上し切羽詰まるかも・・・その時はまた「アロー」にお邪魔させて頂くかも・・・?
それと、勉強会などあれば参加させて下さい。 
                                        
2012年 4月  Aさんより

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